ビバ! メキシコ民族舞踊

吉田 栄人(グスターボ)

メキシコ民族舞踊、花盛り

 

テーマ・パーク花盛りの日本では、毎年必ずどこかの会場で「メキシコ民族舞踊」という触れ込みの公演に出会う。

メキシコの民族舞踊が、見るものの目を十分楽しませるだけの華やかさとノリのよさを持っていることに加えて、メキシコには世界中から集まる公演依頼に応えるだけの人材が揃っているということが、大きな理由だろう。

本のコマーシャリズムに一番マッチしているともいえる。

いずれにせよ、頻繁にメキシコ民族舞踊を見ることができるにも関わらず、残念なことがある。そうした公演の演目として踊られるのは、ハリスコ州のハラベ・タパティオ (JarabeTapatio)(メキシカン・ハット・ダンス)とか、ベラクルス州のラ・バンバ(La Bamba)とかが関の山なのだ。

バリエーションとして、その他にポルカや古代アステカの踊りなどがオプションで加わることもある。

しかし、限られた時間内であれもこれもと欲張ることは物理的に不可能だし、それにメキシコの踊りを見ることだけが目的ではない一般の観客にとって、演目がやたらと増やされることはあまりうれしいことではない。

結局、限られた時間内でメキシコ的なものをいかに観客に見せるかが、興行主にとって、また演出する舞台芸術家にとって課せられた課題となる。

ハラベ・タパティオとかラ・バンバの選出はそういう意味では妥協の産物なのだ。

メキシコと言えば、サボテンとソンブレロ(Sombrero)、あるいはテキーラ(Tequila)を思い浮かべる人が多いはずだ。

メキシコをそういったものでステレオ・タイプ化してしまうことは、あまり感心したことではない。

しかし、日本人だけでなく世界中の人々もやはりメキシコを同じようなものでイメージする。

そういったイメージ自体が存在する以上、それを忠実に再現することが興行主や舞台演出家にとって最善の策となる。

ただし、そうしたイメージ自体が実は彼らの公演を通して広まってきたものなのかもしれない。

メキシカン・ハット・ダンスを見て人々は「ああ、メキシコだ!」と感激し、と同時にメキシコのイメージを強化しているのである。

メキシコには32もの州があり、それぞれに特有な民族舞踊があると言っても過言ではない。

ハリスコ州やベラクルス州の踊りでメキシコを代表させたり、象徴したりすることは仕方ないにしても、メキシコにはそれ以外にもまだまだたくさんの踊りがある。

そのことがじつはメキシコ民族舞踊の面白さでもある。

一般の観客もそうした事実を知ることによって、メキシコ民族舞踊をもっともっと楽しめるはずだ。少なくとも、観客がハリスコやベラクルス以外の民族舞踊を要求しないことには、いつまで経っても同じ踊りばかりを見せられることになる。

自分が損をしないためにも見る目を肥やしたいものだ。

もちろん正しいメキシコ民族舞踊なんてものは存在しない。

また、メキシコ民族舞踊の正しい見方といったものもあり得ない。

人それぞれに楽しめれば、それでいいのだ。

しかし、せっかく見るからにはそこから何かを学び取る姿勢がほしいものである。

そういった観客としての姿勢が日本におけるメキシコ民族舞踊に限らず舞踊文化一般を高めることになるのである。

 

メキシコの民族舞踊は「混血」

 

メキシコは16世紀から1821年の独立までスペインの植民地支配を受けた国である。

そのため、メキシコの民族舞踊はホタ(jota)やファンダンゴ(fandango)などスペインの民族舞踊と多くの類似点を持っている。

また、ヨーロッパで流行った宮廷舞踊やキューバ、チリなど南米各地のダンスの影響も受けている。

諸外国からもたらされたこうした舞踊がどのように定着し、また変化してきたのかは、あまり定かでない。

そこで、ここでは導入された年代と舞踊の種類によって現在の民族舞踊を便宜上、(1)征服の踊り、(2)ソン(son)系の踊り、(3)ポルカ(polka)系の踊り、(4)土着舞踊に分けてみた。

(1) 征服の踊り

征服者(コンキスタドール)は、ほとんどの場合カトリックの司祭を同行させていた。

スペインによる征服は魂の征服つまりキリスト教化を伴うものだったのである。

このキリスト教布教の過程で、踊りはキリスト教の教義を説明する補助的な手段として使われている。

踊りといってもいわゆる聖史劇と呼ばれるもので、主に聖書にまつわるエピソードを演劇(ストリート・パフォーマンス)によって再現することを目的としており、踊り自体は付随的なものに過ぎない。

どういった踊りが使われたのかはわからないが、モーロ人とキリスト教徒の踊り(La danza de Moros y Cristianos)と呼ばれる舞踊劇が、キリスト教の異教徒に対する勝利を表すものとして積極的に使われたことは確かだ。

今日、モーロ人とキリスト教徒の踊りはそのままの形では残っていない。

しかし、サカテカス州やアグアスカリエンテス州のマトラツィネス(Matlatzines)、ハリスコ州サン・アンドレス・イシュトラン村のパイシュトレ(Paixtle)、征服の踊り(La Danza de la Conquista)、オアハカ州の羽の踊り(Danza de La Pluma)など征服をテーマにした踊りを数多く見ることができる。

踊りの中で表現される征服という歴史的事実は必ずしも先住民の敗北と服従という単純なものではなく、むしろ、アステカの王モクテスマが征服者エルナン・コルテスに勝ったりする。

それは歴史的事実に明らかに反するのだが、そこには先住民の生きることへの信念と想像力が織り込まれていると考えるべきだろう。

 

(2) ソン系の舞踊

植民地時代に娯楽として入ってきた主な舞踊は、スペインの民衆舞踊と大衆化した宮廷舞踊である。

これらが定着し、メキシコ的な要素を取り入れながら発展を遂げた舞踊は、一般にソンと呼ばれている。

ソンの定義は必ずしも明確ではないが、主としてハープやギター、バイオリン、ハラーナ・ギターなどの弦楽器で演奏され、唄は一般に8音節4行詩のバラード形式を取る。

また、踊りはサパテアード(zapateado:タップダンス)を伴う、といったいくつかの共通点が挙げられる。

ベラクルス州から、ウァステカ地方(タマウリパス州、イダルゴ州、サン・ルイス・ポトシ州、プエブラ州、ケレタロ州などにまたがる地域)、そしてミチョアカン州やゲレロ州、ハリスコ州などの太平洋岸に至るまでに分布している弦楽器演奏の音楽と舞踊を通常は狭義の意味でソンと呼んでいる。

民族舞踊として有名なのはラ・バンバやエル・ティリンゴ・リンゴ(El Tilingo Lingo)などのソン・ハロチョ(jarocho)(ベラクルス州)、エル・ケレケ(El Quereque)やカイマン(El Caiman)などのウァパンゴ(huapango、ウァステカ地方)、イグアナの真似をする踊りで有名なラ・イグアナ(La Iguana)(ゲレロ州)などがある。

スペイン舞踊を起源とする混血(音楽)舞踊(広義のソン)には、弦楽器ソンの他にマリアッチ(mariachi)やマリンバ、吹奏楽団(バンダbanda)などで演奏されるものを含めることもある。

ただし、単に演奏する楽器が違うだけでなく、リズムやステップの形式など異なる場合があることはもちろんだ。

ハリスコ州とナヤリー州は隣接しているにもかかわらず、ステップのアクセントの取り方が異なる。

ハリスコ州の踊りでは、リズムのアクセント部でつま先を踏み込むのに対し、ナヤリー州の踊りでは踵を浮かすという違いがある。

つま先を踏み込むのを表ステップ、踵を浮かすのを裏ステップとすれば、ソン系の踊りは一般に表ステップ形式のようだ。

裏ステップを使っている踊りにはナヤリーの他にウァステカ地方のウァパンゴやユカタンのハラーナ(jarana)がある。

不思議なことにこハラーナは、ソンというよりは南米のクエカ(cueca)に似ている。

クエカはチリで盛んになり、その後ペルーやボリビア、アルゼンチン、さらにはメキシコにまで広がっている音楽・舞踊で、ハンカチを振って踊るのが特徴的である。

オアハカ州のピノテパ・ナシオナル県がこのクエカ(チレーナchilenaと呼ばれる)を踊るので知られている。

 

(3) ポルカ系の踊り

ポルカやレドヴァ(redova)(レイドヴァーク:ボヘミア民族舞踊)、ショティシュ(shottisch)(スコットランド民族舞踊)がメキシコの民族舞踊として踊られる。

これらは19世紀ヨーロッパのサロンで流行っていた舞曲だ。

それを当時ヨーロッパ志向だったメキシコのエリート階級がメキシコに持ち込んだわけだ。今日これらの舞曲は革命の踊りと呼ばれている。

19世紀エリートに対して起こされた革命(1910年)で先頭を切って戦った北部農民がポルカ系の舞曲をこよなく愛したからだ。

サンタ・リタ(Santa Rita)やヘスシータ・エン・チワワ(Jesusita en Chihuahua)は日本のフォークダンスでも踊られる有名なナンバーだ!!!。

エル・シルコ(El Circo)やエル・レボルカデーロ(El Revolcadero)、ルス・イ・ソンブラス(Luz y Sombras)といったもっと素敵な曲もたくさんある。

 

(4) 土着舞踊

土着的な要素の高い民族舞踊としては、ロス・コンチェロス(Los Concheros)やパスコーラと鹿の踊り(Pascola y la Danza del Venado)などがある。

これらは征服以前の文化的伝統をある程度今日に伝えるものだ。

しかし、今日それらの踊りは土着の信仰というよりは、聖母マリア崇拝や聖人信仰などのカトリックの祭礼慣行として踊られることを忘れてはならない。

土着の踊りではないが、ソン系の踊りには土着の要素がかなり入っている。

もともとソンという音楽は、恋愛や日常生活などの社会風刺から、かなり抽象的な世界観までの幅広い題材を唄にしてしまうという特徴を持っている。

蛇やイグアナ、鷲、いのしし、ジャガーなどの動物をモチーフとした踊りがたくさんあるが、これらはそういう意味では土着の人々の自然観や宇宙観を反映している。

たとえば、ハリスコ州のラ・クレブラ(La Culebra)は蛇の生殖行為(あるいは蛇を借りた生殖行為)を表現しており、蛇を豊穣と結び付ける土着の思考がそこにはある。

ゲレロ州のラ・イグアナ、チアパス州のエル・ボロンチョン(El Bolonchon)なども同じようなものだ。

 

メキシコ民族舞踊をこうして整理してみると、メキシコの民族舞踊と呼ばれる踊りの多くはヨーロッパからもたらされた踊りに土着の文化的要素が付加され、またメキシコの人々の嗜好と時代の流れを受けて次第に変化されてきたものであることが、何となく分かるはずだ。

つまり、ほとんどが混血舞踊だ。それはメキシコで現地生産されたヨーロッパ舞踊と呼ぶにはあまりに特異なものとなり過ぎている。

しかし、一方で、こうした踊りはスペインによる植民地行政下において支配者が持ち込んだ文化的伝統であることを考えれば、それを自らの文化的伝統として引き受け、アイデンティティの基盤にしようとするメキシコの人々、特に先住民の懐の広さと不屈の精神が今日のメキシコ民族舞踊を作り上げていることを、改めて思い起こす必要があるだろう。

「混血」とは新たな生命を生み出す、苦しみを伴なう行為だ。

メキシコの民族舞踊が陽気なのは、悲しみや苦しみを乗り越えようとする人々の切なる思いが、裏返しとなって共鳴し合うからなのだろ